六本木

GWの旅から帰宅して息子は部活、娘は勉強と過ごす一日。夫が美術館へ行こうと誘ってきた。

 

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午後三時。行くかどうかを子どもに問うと、今日はテレビも見たいしやりたいこともあるので二人で行ってきてもいいよと言う。

夫と家を出る。歩くと時間がかかりすぎるね、ちぃばすという選択肢もあるけどどうしようかと話しているうちにけやき坂に着いてしまったので、そのまま徒歩で六本木ミッドタウンへ。

 

Fujifilmの無料展示もいつもふわっと開催されていることは子らが学校からもらってくるチラシで知っていたのでそこにも寄った。

 

ujifilmsquare.jp

fujifilmsquare.jp

 

贅沢な展示だなと眺めながら思う。歩いて、美術館へ行く途中で寄った場所の無料展示。旅先で出会う贅沢だと自覚しつつ、今この場所に居住できていることを尊く受け止める。ずっとじゃない、今だけだから。

 

本命のサントリー美術館の展示はなかなか面白いものでした。黒(Inspiration)コースから白(Information)コースをたどりましたが、黒コースで抱いた形容詞的感想に白コースで情報を足していく鑑賞方法は興味の抱き方をより深められるとても有用な方法でした。「古いこと」に重きを置く展示ではなく「自分」をベースにして鑑賞した実感を持てることがスゴイ。どんなに短い時間でも構わないので自分の中の価値観や見方を一端受け止めるという行為がとても大事なプロセスであり知の好奇心を満たすための原動力にもなるのだということを具体的に実感できました。

 

自分の芸術への考え方や見方を客観視できるので何より楽しい。白コースの説明も淡々としていて、各言葉の定義をさらっと書いてくれたり鑑賞者の理解をある程度予測しながら説明してくれているので心地よかった。

 

振り返ると、本当に素敵な展示方法だったのね。

 

六本木散歩のついでに、ちょっと自分の内面を覗けるきっかけをもらいに、行ってみたらいいのではないでしょうか。

 

と、ゆっくり鑑賞していたらあっという間に午後7時。子どもたちがお腹を空かせているからと急ぎ足で帰宅して晩御飯の材料を買いながら帰宅。

 

良い一日でした。

 

(一日のしめくくりに息子に「部屋を片付けろー!」と怒ってしまったことについては反省。気分で怒ってはいけないよね。行動でしめせるように…)

五反田TOC

先週末の夫との散歩で五反田のTOCまで歩いてみた。徒歩30分。悪くない。だが一人で行くなら自転車かな。今日は娘のスカートを買いたいのでちょっと行ってみよう。

 

五反田へ自転車で行くのは今回が初めて。TOCの駐輪場は探すまでもなく入り口真ん前。ぎゅうぎゅうに停められているけれども、全く歯向かえないわけではないので適当に駐輪。いざ。

 

と、いっても私は相変わらずTOCの使い方というものがわからない。卸売り…ビル…なんだよね?でも一般店舗もあるし小売りもやってるし…。どう使えばいいのか知りたい。

 

TOCは母がよく口にしていた呪文。私の実家は札幌だけれども、母は東京へ行っては叔母二人と「TOCのバーゲン」なるものへ行っていた。TOC=通常お高い服がお安く買える場所。優待券(?)がある人間にしかアクセスできない会場があり、そこには掘り出し物がたくさんあるらしい…。私の中にもおぼろげなTOCの思い出がある。自分がいくつだったかまでは覚えておらず、雨の日、目黒の叔母の家からバスで赴いたその場所がTOCだった。小学生だったかなあ。そうそう東京へは行っていないはずなのでよく思い出してみればいつくらいというのがわかるかもしれないけれども、でももうあまり聞ける人も居ない。

そんなTOC。今回の東京生活で実は三回目。まだ夫が赴任先から帰ってきていなかった日曜日、塾にも通っていなかった子どもたちと「今日はユニクロでお買い物をしよう!」と山手線で五反田まで行って歩いてTOCへ行った。現地へ行くまでそこがあのTOCだったかどうか確信をもてなかったのだけれども聞くまでもなくいけば分かった。二回目は先週末、散歩の目的地としてデカいユニクロがあるTOCに夫を連れて行った。そして今日、チャリ。この三回の中でとにかくTOCには子供連れ母もしくは若い夫婦の客が多いことには気づいていた。なんでやろ?と思って4階に行ってみたらどでかい赤ちゃん本舗が入っていた。納得。駐車場付きの赤ちゃん本舗が五反田にあるならそりゃ来るわな…。

 

で、4階からそろそろと1階まで回ってみたんだけれどもそれでもやっぱりこのビルの使い方がわからなかった。個人商社みたいなところが事務所兼店舗として使ってるんやろなあと思いながら目的地ユニクロへ。うちの近所で唯一キッズ服が置いてある店舗だ。

 

結局買う予定ではなかった自分用のパンツも入手。まあいっか…と思いながら次は目黒経由で家に帰ろうと五反田を出た。首都高の下を通って上大崎の交差点へ。右折すればうち方面だけど…せっかくここまで来たんだし、と目黒アトレ前の駐輪場へ。だが案の定満車。安心してください。アトレ2の裏に大き目の駐輪場があるのでそこにまあぎゅうぎゅう詰めで駐輪。さて。

 

ドンキプロデュースのピカソってなんやろなあ、と思いながらプラプラして娘のホワイトデー用の袋キャンディを購入(メインのお菓子は月曜に渋谷で購入済み)。ラッピングは100均なのでキャン★ドゥを探し当て購入。そこ、東急ストアなんだけどね。そこに駐輪出来ることに気が付いた。やだー。やったー。これで目黒に行っても悩まないでいいわあとニコニコ顔になる私。

午前中も終わるし今日は娘が4時間で帰宅するのでそろそろ帰んなきゃ。

ガシャコンと自転車を出した。

目黒駅前はいつも混んでる。

白金台を抜け、うちへ──

 

 

 

東京はずっと叔母たちの街だった。

母の姉の叔母1は中目黒にマンションを持ち、母の妹の叔母2は洗足の一軒家に住んでいた。東京の中でも結構悪くない場所に居を構えていたので、なかなかそういうくらしはできないものだということを小さい頃からなんとなく聞き及んでいた。

始めての東京は叔母2の助力もあり、目黒区と大田区の境目の大岡山。そこの一人暮らし用物件を借りたのだがそこそこの家賃は要求されたものの、非常に便利で暮らしやすかった。治安も良かった。東京は楽しいということを実感したのもそこが最初だ。

次の東京は江戸川区新小岩。下町人情溢れる街で上の子を小学校にあげたもんだからママ友繋がりもしっかりできた。そこも楽しかった。

その後また国外での生活が続き、今は港区に住んでいる。人のつながりは求めていない(こどもたちも大きくなったので)ことも幸いしてか、淡々とした人間関係が今のライフスタイルにはぴったりだ。

自転車で走り回れる範囲全てが「知っている地名」ってとこがいい。

私は22歳で実家を出てからずっと借り物の家に住んでいてそれが性に合っている。定住は怖い。とらわれるのが怖い。だから旅人から転勤族になった夫と価値観が共有できる。

港区のくらしも期間限定にしようと思っている。しばらくはここにいるけれども、家はまだ買わないのだ。

 

だからこそ、この街を楽しいと思えるところがある。

 

あの、子どもの頃の漠然とした思い出が残ってる五反田TOCに自転車で行けちゃうんだよ。

(六本木も東京タワーも皇居も全部行けるけど)

 

ふふふ

 

大人

楽しいと思うことが少なくなった。

 

母が倒れて以来、以前ほど楽しさを感じなくなった。

この作品が好きだなとかもっとああいうのが読みたいなということが確実に減った。

 

壊れちゃったのかな、と思うと同時に多分、私は大人になったのかもしれない、と思っている。

 

年を取るということをしているのかもしれない。

春になったら

大事にしてきたつもりでも、それでも足りない。

 

昨年4月に母が倒れてからずっとそう感じている。

出来るだけのことはやってきた。その時の精一杯だった。それはわかっている。わかっているけれど、その瞬間の私へ声をかけたい「もうちょっと話せるよ」「もうちょっと座らせてあげられるよ」「もうちょっとありがとうって言ってもいいよ」「もうちょっと一緒に」

 

林遣都市原悦子主演の映画「シャボン玉」を観た。

市原悦子さん演ずる婆ちゃんの姿に母が重なって、涙で前が見えなくなった。長くはまてないと笑いながら言う姿は本当にそのもので、あの年齢の女性と死はとても近いことを実感しているだけに胸が苦しい。

 

倒れる前日の母の姿で覚えているのは後姿。最後まで最後まで私の世話をみようとしていた背中。脳梗塞を起こし、脳の半分は機能しなくなっていたのにその日の朝食を作ろうと懸命に起き上がろうとしていた母。

 

母にもっとありがとうと伝えたかった。もっと一緒にいたかった。もっと一緒に色々なことをしたかった。

 

あの時、もし母がそのまま亡くなっていたら、私の傷はとてつもなく深く癒えることはなかった。母はその病を乗り切り、今は故郷札幌の地で今日も目覚め、食事をして息子たちや孫に会えるのを楽しみにしている。

母がこの世にとどまってくれていることで、私は息をし笑えている。

 

そして息をするように母のことを思い出す。

 

母を恋しく思い出す。

4月、雪が解けるころにまた母に会いに行く。

ありがとう

今日、子どもたちと駅付近を歩いていたら少し訛りのある日本語で「スミマセン!おカネ!」と声をかけられた。数メートル向こうで自転車に乗ったまま足をついてこちらを見ていたのはインド系の20代~30代の男性。自分のお尻のポケットを叩きながらこちらも見てもう一度「おカネ」と言う。さきほど本屋に寄った後に二千円を尻ポケットに無造作にいれたことを思い出した。自分の尻ポケットを触るとその二千円がもう落ちそうなくらい顔を出してた。顔をあげると無表情な彼の瞳と目があった。「ありがとう!ありがとうございます!!」と彼にきちんと届くように大きな声でお礼を言った。それを聞き彼は『頼むよカーチャン』といった表情を残しそのまま自転車に乗り直し走り去った。

 

 


この国で働く外国人の、訛りがあったり流暢だったりする日本語を耳にするたびに、この国に来てくれてありがとうと思う。それは私が同じ立場にいたことがあるからかな?そうじゃないかな。

彼らがここで暮らす上できっとこの土地を好きだと思う瞬間も嫌いだと思う瞬間もあるはずだ。そういう気持ちが重なって、見知らぬ土地は故郷になっていく。この国を選んで住んで、働いているのであれば、ただ嬉しく思う。私はこの国が好きだから、ここに来てくれて好きになってくれていたら嬉しいなと思う。

何かに必死であるということ

何かで必死であるということは、悪くないことだと思います。

 

凡人でも必死に何かを考え続けていればなんらかのものを残すことも出来るのかもしれない。残さなくてもいいのです。必死であったという事実さえあれば、それだけで十分なのかもしれない。