春になったら
大事にしてきたつもりでも、それでも足りない。
昨年4月に母が倒れてからずっとそう感じている。
出来るだけのことはやってきた。その時の精一杯だった。それはわかっている。わかっているけれど、その瞬間の私へ声をかけたい「もうちょっと話せるよ」「もうちょっと座らせてあげられるよ」「もうちょっとありがとうって言ってもいいよ」「もうちょっと一緒に」
市原悦子さん演ずる婆ちゃんの姿に母が重なって、涙で前が見えなくなった。長くはまてないと笑いながら言う姿は本当にそのもので、あの年齢の女性と死はとても近いことを実感しているだけに胸が苦しい。
倒れる前日の母の姿で覚えているのは後姿。最後まで最後まで私の世話をみようとしていた背中。脳梗塞を起こし、脳の半分は機能しなくなっていたのにその日の朝食を作ろうと懸命に起き上がろうとしていた母。
母にもっとありがとうと伝えたかった。もっと一緒にいたかった。もっと一緒に色々なことをしたかった。
あの時、もし母がそのまま亡くなっていたら、私の傷はとてつもなく深く癒えることはなかった。母はその病を乗り切り、今は故郷札幌の地で今日も目覚め、食事をして息子たちや孫に会えるのを楽しみにしている。
母がこの世にとどまってくれていることで、私は息をし笑えている。
そして息をするように母のことを思い出す。
母を恋しく思い出す。
4月、雪が解けるころにまた母に会いに行く。