雨の日は会えない、晴れた日は君を思う

キャラだけでなくストーリーやシチュエーションだけでもなく、ああ映画を見たなと思いました

 

「雨の日は会えない、晴れた日は君を思う」

 

タイトルの「君」はこの映画の中で主人公デイビスとかかわる人全てどの人でも当てはまると思いました。

原題は「Demolition(破壊)」です。アハハ、身も蓋もないけど、そっちのほうがやっぱりしっくりくるね。甘い映画ではないから。

 

さて、

 

主人公、デイビスが奥さんの運転する車でマンハッタンへ向かうシーンから映画は始まります。デイビスは高級なスーツに身を包み、みだしなみはばっちり。いかにも金を回して稼いでるビジネスマンの風体です。奥さんも美人で聡明、でも少し結婚生活に疲れているような印象。若いといっても30は過ぎてそうな夫婦ですが、子はいない様子。そういう二人なんだなとこちらが思っている間に車は事故に巻き込まれ、奥さんだけが亡くなります。

 

奥さんの死に対して泣けない悲しまないデイビスではありますが、映画内では象徴的に奥さんの映像が挟まれていきます。「奥さんを愛していなかった」とデイビスが言うシーンもあるのですが、見ているこっちにはストンと落ちてくるセリフにはなっておらずそれは制作側の意図的なものと思われます。ただ、表面的に悲しがらず淡々と日々を送るように見えるデイビスに対して、もともと好意的でもなかった奥さん父は不信感を募らせ、その不信感の増大と振幅を合わせてデイビスの破壊衝動も大きくなっていきます。彼は奥さんがいなくなったことにより、自分自身が彼の周囲の小さなことに気がつき始めていることを自覚します。それを彼自身は「好奇心」と呼びますが、その行きつく先は破壊衝動と破壊そのもの。実家のパウダールームのライトから始まり、会社のトイレの軋むドア、デスクの上のパソコン、奥さんが直してくれと懇願していた冷蔵庫は直すという名目でいじり始めますが、すぐに破壊されひどい状態にされます。奥さんがオーダーしていたエスプレッソマシンも分解して部品になり、物語の盛り上がりには、夫婦で建てたモダンな家そのものを自らの手で破壊するのです。変化の初期、義父は彼にカウンセリングを進めます。彼自身はそんな義父と娘の名を冠した奨学基金の設立という行動に違和感を持ち続け、二人の距離はどんどん離れていきました。

彼の違和感ととまどいをぶつける先として選ばれたのは自動販売機の顧客サービス係の女性。物語はその女性とその息子、彼氏を巻き込んで次のステージへと進んでいきます。

 

身につまされる、というか、響いたというのが正しいのでしょうか、とても好きな映画だなと思いました。

 

20代だった頃の私がこの映画を見てもよくわからなかったのかもしれないと思うのですが、40代の私はこういう映画を求めてるなと。

 

好奇心、破壊衝動、愛、家族。

 

全て、生きていく上で直面し一度は考えさせられるキーワードの数々。

 

主人公デイビスがクレアの息子から落としてもらった曲を聴きながら、マンハッタンをダンスして闊歩するシーンはとても「映画的」です。フィクションと美というか。こういうシーンを見たいから映画を見てるというか。

 

この映画を見ていて、なんとなく「LIFE!」も思い出しました。「LIFE!」を見ていたときは「フォレスト・ガンプ」を思い出したことも又思い抱いたりして。「LIFE!」はフォレストガンプ的な映画になりたかったという欲望が下地に透けて見える気がして、嫌いではないけど好きでもない映画の一つです。

 

「何気ない日常」が平坦で人間的でない毎日であるという設定からこの映画を想起したのかもしれません。ただ、人生に対する厳しさの表現はこの映画のほうがリアルで(暴力や銃やマリファナが自然に出てくるところも現代をきちんと表していると思います)主人公の自分の感性を麻痺させて毎日を過ごしている演技はジェイク・ギレンホールだからこそ醸し出せているものもありました。つくづく良い俳優さんだと思います。

 

美しいと思うことが、今日や明日という小さな毎日においてとても大事なことなのだと気付かせてくれる映画です。

「愛はあった。ただおろそかにしていただけだ」

というセリフが私は本当に好きで、多く、人はこの過ちを犯してしまうものだとつくづく思うのです。

 

良い映画でした。良い映画を見させてもらいました。

 

忙しい毎日、自分にはもしかして愛情がないのでは?と思ってしまったときに観てほしい映画です。