愚鈍でおおらかな

公開模試の偏差値が50を超えた。息子の。

 

うちの息子の脳の構造は少し独特で、いわゆる「目から鼻に抜ける」というタイプではない。かといって、すごくバカなのかというと、多分違う。多分。

 

昔から私の中では実父と息子が同じグループに見えている。私から見ると実父は非常に「鈍い」人だ。面白い話や気の利いた話を理解するのが困難な人。スピードが遅い人である。理解に時間をかけてしまうので、一般的には愚鈍に見える。愚鈍だが忍耐力はあるらしいので、長い目で見ると結構結果を出すタイプでもある。実際実父は非常に高学歴であり、一緒に生活している間も遅いのでつまらないと感じることは多々あったが、教養がないと思ったことは全くなかった。

 

それと同じグループとして生まれた息子は、教養をつける前の父。つまり純粋に愚鈍な子だった。それをどう育てていくかは私と夫に半分くらい課せられていたと思う。父と私との間によこたわる大きな軋轢のせいで心の半分くらいで父を憎んでいた私が息子に憎しみを抱いてしまう自分を自覚する瞬間も多かったのだが、実母や夫の助けを借りながら一つ一つ乗り越えてきた。小学校にあがるくらいまでがとても辛かった。愚鈍なだけの息子を愛することは特に実父と重なっている部分を強く感じていたこともあって、とても難しかった。

 

紆余曲折あった(辛いので割愛)。世界中を連れまわしてしまったので、そのせいで息子の言語力、学力の伸びが悪かったように思う。成績優秀者に憧れることももうなくなった今年、息子の偏差値が50を超えた。

 

息子との紆余曲折は、息子と常に話し合い、私が息子を非常に大事に思っていること、命を引き換えるのを厭わない大事な息子だということを言語、非言語のコミュニケーションを通じて伝えてきたことでどうにか大事にならないまま今にいたってくれている。息子の持って生まれたおおらかな性格のおかげだ。実父も蓋をあけてみれば、とてもおおらかな人であった。

 

息子の努力が、身を結んできているそのことに何よりの喜びを感じる。