叔母のこと

叔母は、幸せな人だと思います。

母は叔母を可愛がっていました。今、叔母と話していてそれを実感します。

母は弱音を吐く人ではなかった。

母は弱みを見せる人ではなかった。

だから叔母は叔母の理想の母を守ることが出来た。

私はそれを打ち砕いている。

 

私は世界を憎んでいる。

母が世界を憎んでいたように。

私は世界を愛している。

母が世界を愛していたように。

 

母は、私たち三人の子をとても愛していました。

私たち三人は母の愛を疑ったことがありません。

私たちの三人を守るために、母は命を投げ捨てるだろうことを実感しながら育ててもらいました。母の傍にいる時は私たちはいつも安心していました。

 

母は父を憎んでいました。

叔母にはこういいました。

「嫌いあってはいたけれども、憎みあってはいなかった」

でもそれは嘘です。

母は父を憎んでいました。

好きで一緒になったからこそ、憎んだのです。

 

叔母は、そういう母を知りません。

母は叔母にそういう自分を見せなかった。

それが母の叔母への愛であり礼儀だった。

だから叔母は知らない。

 

そして、私はそんな叔母を少し憎く思っています。

私はこんなに傷ついているのに、あなたはなぜ知らないままなのかと。

私は母の憎しみをこんなに背負っているのに、あなたには何も背負わされていないのかと。

 

叔母は叔母でしかないんだと思い知れ、と。

「姉がこんなふうになってしまって、ごめんね、って感じるんだ」と叔母が言ったとき、この人は何を言っているんだと思いました。

お前に母の何がわかる、と。

お前ら姉妹に母の辛さの何がわかる、と。

母の半生は怒りと憎しみと慈しみで埋まっています。

慈しみはわたしたちと動物たちに。

怒りと憎しみは父と父の家族に。

 

そしてそんな父と母の幸せを誰よりも願っていたつもりでいるのが私です。

数値化できるものではないので「誰よりも」という部分が思い上がりであり傲慢であることは頭ではわかります。

その思い込みは私の中から消えることは無いのです。

兄たちよりも、私。

あの渦中に最も長くいて母と同性であった私にしか母の怒りと憎しみと絶望はわからない、と思っています。

 

叔母はそんな母を知りません。

なのに、母を知っているようなことを言います。

 

そうですか、と思いたまにイジメるようなことも言っていまいます。

そして叔母はそれを受け止めるのです。

 

叔母は母と同じ「偉大な母」のカテゴリーに入る女性です。

私は母と同じように、叔母のことが好きです。

叔母は優しくて自分は味噌っかすだと思い込んでいる小さな少女のようにも見えます。

私は強いおばさんです。

人を憎むことを知っている嫌なおばさん。

 

だから叔母が眩しくて、憎い。

ごめんね、お母さん。そんな私こそ醜いのかもしれない。

 

明日、叔母のことを憎むのを辞めてみよう。

母のために。