生きるということ

生きるということ。

 

死ぬということ。

 

考えるということ。

 

母が、脳梗塞で倒れました。

朝、起きてこない母を起こしに行くと挙動がおかしくて、救急車を呼んで。

 

入院翌日に、頭蓋骨切除の外圧を下げる手術をして、二日目にはダメになった脳を取り去り内圧を下げる手術をしました。

 

脳を、切除したのです。

 

思考と言語をつかさどる左脳前頭葉を切除。

 

脳幹を守りましょう、と先生は言いました。脳幹を守って残って生きている脳部分を守れば後はリハビリでどうにかなります、と先生は言いました。よくわからないけれど、そうなんだろうと思いました。重症の脳梗塞を患った母は手術のおかげで、死ぬことを避けられました。

 

母は、私が大好きでした。私も母が好きでした。依存症寸前の母子関係であった私たちは多分お互いを体の一部のように感じていたのだと思います。

 

母は孤独だと私は思っており、母は不器用な私の何かの役に立ちたいといつも思っていました。少し不気味なほど、母は私に献身的でした。

 

それが私は嫌だったのですが、それも依存しあうお互いへの甘えだったのだと今はわかります。

 

母が目を開けてこちらを見るそぶりを見せます。意識はまだ戻りません。それでも、目を開けてこちらをみようとする母は少し他人のようでもあり、わが子のようにも感じもします。母は母なんですが。

 

母は生きています。